チューリップ畑

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公平であるということ

子供の頃から

なぜか妙にこだわっていることがあります。

 

それは公平というか平等というか

差別しないというか、

ともかく自分も誰かも

仲間はずれにしたりされたり

誰かだけが、悪者にされたりする

そういうことにものすごく違和感を感じていました。

 

思い返せば

小学校の頃、本ばかり読んでいて

人と付き合うことが苦手で

仲のいい友達と呼べる人が自分の中にはいなくて

どこか仲間はずれになっている気がしていたからかもしれません。

クラスメートの何気ない言葉にも

内心傷ついていましたが、

家族にもそのことを言えない子供でした。

 

その反動か、中学高校では

どちらかというと目立つ方だったようです。

いつからか、わざと大きな声を出して人の気を引いたり

ふざけたりすることで

友達になろうとしていたように思います。

 

 

今は、差別などについて

大きく語られ、どうするべきかなど

課題になっています。

 

誰もが、自分以外の人のことを

同じ地球の上に生まれた人間であること、

見た目や、性格や、能力や、環境に違いがあっても

本質において同じであること、

それが考えの中心にあれば

それほど大きな問題は起こりにくいと思いますが

多くの場合、自分と他人を分けて考えてしまいます。

 

ひとりひとり違う個性を持って生まれた私たちは

平等という名の下に

全く同じ素材を与えられたとしても

同じものを作ることはできないでしょう。

 

でも、一人一人に合った

公平な立場で与えられたとしたら

その人なりに結果を出すことができるのではないでしょうか。

 

よく思うのは、差別は決して許されないと思いますが

区別して、より良い方向へ持っていけるように

判断して行動することが大切ではないかと思います。

違うということを認めた上で、

その個性にあったやり方を選択する。

お互いにそれを助け合うことができれば

より暮らしやすい毎日になるのではないか・・・

 

それこそ千差万別ですから

完全な答えも方法もないと思いますが

人と接するときは

相手を思いやる気持ちと愛を持って

接したいと思っています。

 

 

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2024.03.28