チューリップ畑

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自分が傷つかないために・・

新型コロナ感染対策のため

日常の行動が、見えない壁に囲まれているような気がしますね。

 

そのため

同じ職場や学校や移動手段、

そして自宅。

どんなに仲が良かったとしても

なんとなく制限されているような

閉鎖的な空気があると、

今まで以上に息苦しく感じて

小さな小さな衝突が出てくることもあるでしょう。

 

だいたい、誰かに対する不満というのは

言動が自分が思っていたようなものではなく

それがいい方へ変わったのであれば問題ありませんが

逆に自分にすれば不快に思うようなものであれば

なんとなく気分が悪いことも多くなります。

 

その原因になることが

小さなことであればあるほど、

口に出したり文句を言うまでもないものであり

それが積もり積もると、大きなネガティブになります。

 

そうなってしまうと

いつまでも自分の心の中に居座り

予想以上に不快な気分になってしまうこともあります。

 

 

 

そのチクチクした嫌な感じの多くは

自分の期待していなかった相手の言動が原因ですが

自分の中の何に反応したかというと

多くの場合、自分の「我」ではないでしょうか?

 

もう少し具体的にしてみると、

期待を裏切られた、感謝されなかった、

言われなくていい文句を言われた、

自分の考えを反対された、など

自分の思い通りの反応でなかったことに対する

不満や小さな怒りではないでしょうか。

 

やはりそれは自分の「我」が満足できなかったり

傷つけられたと感じたから、ということが

多いように思います。

この「我」を「ブライド」と書き換えてもいいかもしれません。

 

ここからが本題ですが

その「我」もしくは「プライド」は

本当に大切で、傷つけられたら怒ってしかるべき価値があるものですか?

 

「プライド」を大事にしないなんて!と

ここに憤慨する方もいるかもしれませんが、

真に価値があるものであれば、

誰がなんと言おうと傷つくことはありませんし

それに憤慨することもないと思うのです。

 

単に、体面や自分の心情を傷つけられたとしたら

相手のレベルが、その程度の発言しかできなかっただけのことで

それ以上でもそれ以下でもなく

ましてやそれが真実ではないと自分がわかっていれば

なんの問題もないことなのです。

 

もう一歩心の余裕ができたならば

ああ、そういう言い方しかできなかったんだね、と

そう判断できれば、それで終わり。

 

それ以上自分が傷ついたり引きずったりすることはないのです。

 

表面的な、目で見えるものだけで判断しようとすると

つまらないネガティブに巻き込まれて疲れてしまいます。

 

イラっとしたり不快な思いをした時は、

その瞬間その思いでいっぱいになってしまうかもしれませんが、

少し時を置いて、改めて冷静に見つめれみれば

大抵のことは、大したことではなかったと納得できることばかりです。

 

 

毎日暑い日が続き

余計に疲れがたまりがちですが

ちょっと気分転換できる時間を作り、

ちっちゃなことは笑い飛ばしてしまえるよう

心軽く過ごせるように、していきたいですね^^

 

 

 

 

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2024.04.27