チューリップ畑

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相対するものと和

この世は相対で成り立っています。

 

プラスがあればマイナス、

陽と陰、上と下・・・

なにもが相対するものがあって

その存在が認識されているといっても

いいのではないでしょうか。

 

この世は辛いことばかりだし

違いがあるから差別があるわけで

では、違いが無ければ

皆が幸せになれるのではないか?

と思ったことはありませんか?

私は、子供の頃から時々そんなことを考えていました。

 

ですが、

皆が同じだと本当に幸せなのでしょうか?

昭和的な例えで言うならば

人間がみな金太郎飴みたいに

同じ顔で中身まで同じで

さらに環境までも一緒だったら・・・

きっと、そこには不幸もない代わりに幸せもないでしょう。

なぜなら、幸せという感情も

何かと比較して出てくると思うからです。

 

ここで、相対と和という言葉を持ってきたのは

相対があるからこそ和が大事なのではないかと

改めて感じたからです。

 

それも世の中の事というよりは

自分自身を見つめたときのことです。

 

自分の中にも長所・短所があります。

そして、その長所短所は

見る角度や、場面によりどちらに変わることもあります。

すぐに感情が表に出る方は

「感情の起伏が激しい」と言われるでしょうが

「素直な人」と言われれば悪い感じではないですし、

「慎重」であれば「決断が遅い」と言われるかもしれません。

 

 

自分自身を責め続けることも

ネガティブになってしまいます。

それは苦しいだけで、何も改善されません。

 

だったら

短所を責めて無くそうとするのではなく

短所を素直に認め、踏まえたうえで

自分の短所と思うところを補う努力をしながら

日々行動していくことが

この世で生きていくことではないかと思ったのです。

 

それは自分も調和を目指すことにならないでしょうか。

 

私自身

自分を認めよう、赦そうと度々言葉にしますが

そう簡単なことではありません。

でも、これも今世を終わらせるまでに

私自身がもらっている宿題の一つだと思っています。

 

まずは周りを許す寛容さを持てるよう、

そして、自分を認め最善を尽くすこと。

それでまた一つ、変わっていくと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024.04.16